その器量や人望は計り知れず、数々の伝説を残しています。
若い頃は武闘派といわれて事件を起こした過去もある北野武さんですが、義理人情に厚い人柄で慕われてきました。
そんな北野武さんの武勇伝や伝説エピソードをまとめました!
ビートたけしの伝説エピソードやかっこよすぎ武勇伝!
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北野武さんがこれまでに残してきた、感動する話やすごい話などの伝説・武勇伝を紹介していきます!
弟子に現金800万円あげた!
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たけし軍団のメンバーの一人・ つまみ枝豆さんが北野武さんの運転手を務めていた頃。
運転中の会話の中で”好きな車”を聞かれたつまみ枝豆さんは、「ベンツ」と答えました。
次の日、いつものように北野武さんを迎えに行ったつまみ枝豆さんですが、北野武さんからボロボロの紙袋を渡されます。
中を見ると、そこには現金800万円が入っていたそうです!
北野武さんから「ベンツ買え」と言われ、その時は一旦お金をもらったつまみ枝豆さん。
しかし、1週間考えたつまみ枝豆さんは「やっぱり自分で頑張って買います」とお金を返したそうです。
北野武さんは「お前ならそう言うと思った。頑張れよ」と言いました。
道端でお金をバラまく!
北野武さんは浅草のお店や客、道端を歩く若い人や酔っ払った人達にもお金をバラまいて歩くそうです!
北野武さんが若い頃通った浅草のくじら料理店『捕鯨船』には、「食えない芸人が来たら飲ませてやって」と言って分厚い札束を置いて帰るのだとか。
お金の使い方を心配した弟子に対し、北野武さんが言った言葉。
「オレは浅草に育ててもらった。だから浅草に恩を返してんだよ。」
若い芸人にも気遣い
北野武さんの楽屋の方向に用事があったスタッフが、北野武さんの後ろを歩いていた時のこと。
前を歩いていた北野武さんですが、廊下の曲がり角で急に引き返したそうです。
気になったスタッフが北野武さんの様子を見に行ったところ、喫煙所でタバコを吸っていました。
再び歩き出したスタッフが曲がり角を曲がると、そこでは若手芸人の『北京ゲンジ』がネタ合わせをしていたのです。
『北京ゲンジ』は練習中にも関わらず、スタッフに挨拶してくれたそうです。
スタッフはその時、北野武さんが引き返したのは”若手芸人の邪魔をしないため”だったのだと気付きました。
笑福亭鶴瓶の活躍を後押し
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たけし軍団に対して、笑福亭鶴瓶さんは非常に面倒見が良いそうです。
なぜそこまで良くしてくれるのか、不思議に思ったつまみ枝豆さんは鶴瓶さんに理由を聞きました。
すると鶴瓶さんは「若い時に東京進出したが、あまり活躍できず認めてもらえなかった時、たけしさんがテレビ局に『このまま鶴瓶を大阪に帰すのか?』と言ってくれた」と語ります。
北野武さんがその後の東京での活躍を後押ししてくれたので、その時の恩返しという訳です。
鶴瓶さんが活躍するきっかけは、北野武さんがつくったのかもしれませんね。
ポール牧に恩返し
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北野武さんはまだ売れていない頃、ポール牧さんに大変お世話になったそうです。
しかし、徐々に北野武さんの方が売れ始め、ポール牧さんの活躍は減っていきました。
そこで北野武さんは、自身がテレビに出演した際にポール牧さんの名前を頻繁に出します。
「どうも、ポール牧です」
「馬鹿野郎!お前はポール牧か!」
「なんだその格好?ポール牧か!?」
これによってポール牧さんの認知度は再び高まり、仕事の依頼がくるようになりました。
北野武さんは、お世話になったポール牧さんに対して自分なりに恩返ししたのです。
その後番組で共演する機会があった二人は、一緒に飲みに行きます。
北野武さんが飲み代を払おうとしましたが、ポール牧さんは「たけちゃん、それは10年早いよ」と言って払ってくれたそうです。
名曲『浅草キッド』は、北野武さんが帰りのタクシーの中で作った曲なのだとか。
一人でヤクザの事務所に乗り込んだ
北野武さんが面倒を見ていた元ボクサーのトカちゃんがヤクザとトラブルを起こし、事務所に連れていかれた時の事。
北野武さんは一人で事務所に助けに行きます。
「面白い事をやったら返す」と言われた北野武さんは、ヤクザに囲まれていた状況でギャグをかまして大爆笑させたのです。
弟子に素敵なサプライズ
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お笑いコンビ『ほたるゲンジ』の無法松さんは、北野武さんが監督を務める映画で主役に抜擢されていました。
しかし、事情がありその話は無かった事に。
ある時、無法松さんが北野武さんのゴルフに同行したときのこと。
無法松さんは北野武さんがレストランで休憩する間、片付けや帰る準備をしていました。
その後、北野武さんが車に乗り、見送ろうとする無法松さんに「レストランに忘れ物したから、預かっといてくれ」と言います。
そしてレストランに戻った無法松さんに用意されていたのは、超高級ステーキと映画の台本だったのです。
台本を開くと、北野武さん直筆で「悪かったな、漫才師役だ。頼むぞ無法松」と書かれていました。
無法松さんは涙を流してステーキを頬張りました。
器がデカすぎる
たけし軍団のメンバーの誰かが、北野武さんの金庫からお金を盗んだ時のこと。
北野武さんはお金が盗まれた事を知りながらも、誰も責めませんでした。
メンバーのガダルカナルタカさんやそのまんま東さんが犯人を突き止めようとしていたら、逆に北野武さんは「そんな事をする暇があるなら芸を磨け!」と怒ったそうです。
引っ越し祝いがヤバい
たけし軍団のメンバーが引っ越す事になると、北野武さんは「引っ越し祝いは何がいい?」と聞いてくれるそうです。
「洗濯機が欲しいです!」と言ったあるメンバーの元には、タライと洗濯板が届いたのだとか。
しかし、タライの裏には百万円入った封筒と「いい洗濯機買えよ!」という手紙が入っていたそうです!
弟子の為に頭を下げる
たけし軍団の、あるメンバーの葬儀での出来事。
亡くなったメンバーの葬儀には、たけし軍団以外の芸人なども駆けつけてくれていました。
北野武さんは駆けつけてくれた人に「弟子のためにありがとうございます」と言い、座布団を外して畳に額をつけて深々と頭を下げたそうです。
北野武さんに頭を下げられた芸人は感動し、「この方に皆がついていくのは当然だ」と納得したのだとか。
フライデー襲撃事件
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1986年、北野武さんが39歳の時のこと。
当時交際していた女性(21歳)に対し、週刊誌『フライデー』の記者が彼女を待ち伏せして声をかけました。
彼女は立ち去ろうとしましたが、記者は手を掴み引っ張るなど乱暴な取材を続けたのです。
それを聞いた北野武さんは激怒し、出版社に電話で抗議して「今から行ってやろうか」と恫喝。
翌日の深夜3時過ぎ、北野武さんはたけし軍団のメンバー11人を引き連れてフライデー編集部に乗り込みます。
編集部員からの「空手が得意だ」などといった挑発もあり、乱闘が起きて傷害事件に至りました。
北野武さんには懲役6カ月・執行猶予2年の判決が下りましたが、結果としては起訴猶予処分となり軍団メンバー共に実刑を免れています。
まとめ
引用:Twitter
北野武さんの器の大きさや、義理人情に厚いことが分かるエピソードばかりですね。
ここでは紹介し切れませんでしたが、北野武さんの伝説はまだまだあります。
これからも、伝説や武勇伝を残してくれるであろう北野武さんに注目です!