その笑いの引き出しの多さは、芸人の中でもトップクラスといわれています。
岡山の島で生まれ育った大悟さんは、地元のエピソードや父親のエピソードも度々語っています。
特に、大悟さんの父親のエピソードは芸人からも視聴者からも大人気です!
そこで今回は、大悟さんの父親のおもしろエピソードや感動するエピソードをまとめて紹介します!
千鳥大悟の父親の面白いエピソードや感動する話!
引用:Twitter
大悟さんの父親の名前は山本清志さん。
笑いのネタになる事が多いのですが、そのエピソードからは面白さだけでなく優しさや愛情が伝わってきます。
「お前は好きなように生きろ」
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イメージ通り、子供の頃からヤンチャだったという大悟さん。
島のお金持ちの家の子とケンカしてくる事もよくあったのだとか。
狭い島内で揉めると大変なので、大悟さんの父親は大悟さんを連れて頭を下げに回ったそうです。
帰り道、父親は大悟さんにこう言いました。
「ワシは頭じゃったらなんぼでも下げちゃるけぇ。お前は好きなように生きろ」
貧乏な家に生まれさせて申し訳ないという気持ちがあったのかもしれません。
大悟が芸人になると決めた理由
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大悟さんが生まれ育った北木島は人口が少なく、経営者と雇われる側がはっきりして富裕層と貧困層の差が大きかったといいます。
大悟さんの家は貧乏でしたが、父親は子供達を楽しませようと色々と試行錯誤してくれていたそうです。
小学生の頃は、父親が原付バイクの荷台を改造して、大悟さんと姉を乗せて走っていたのだとか。
さらに、知り合いから中古の船を10万円で買って、ペンキで「幸福丸」と書いたそうです。
父親はその船で、大悟さんを釣りに連れて行ってくれたのです。
しかし、そこにお金持ちの男性が乗ったクルーザーがやってきて、罵倒されました。
「お前みたいな貧乏人がどこで釣りしとんじゃ!こんなとこで釣りするな!」
大悟さんの父親は言い返さず、黙ってクルーザーが立ち去るのを待っていました。
その後振り返って、大悟さんに「お前はああなれよ」と言ったそうです。
引用:Twitter
大悟さんが悔しい思いをしないように、人の上に立てる人間になって欲しいという思いがあったのでしょう。
その瞬間、大悟さんは「イチかバチか芸人になって勝負する」と決めたそうです。
切ないエピソードですが、こういった悔しい経験もあったからこそ、大悟さんは歯を食いしばって成功を掴んだのかもしれませんね。
「これだけは覚えとけ」
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大悟さんが、高校を卒業して芸人になる為に大阪へ行く事を父親に伝えた時のこと。
父親は反対せず、「わかった。その代わり1日わしにくれ。」と言ったそうです。
大悟さんが大阪に行く前日、父親は島から出るのが好きではないにもかかわらず、本土まで船できてくれました。
そして軽トラに乗せられ、大悟さんに「ええか、今から走る道は覚えとけ」と言って走り出したのだとか。
着いたのは、大悟さんが小学生の時に亡くなってしまった担任の先生のお墓。
大悟さんの事を可愛がってくれていて、大悟さんが2年生の時に亡くなってしまった先生のお墓で手を合わせました。
そして帰り道、父親は大悟さんにこう言いました。
「お前が芸人になろうがなるまいが、成功しようがしまいがどうでもえぇ。」
「でもこれだけは覚えとけ。この墓までの道のりを忘れるような人間にだけはなるな。」
大悟の父親の職業?
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大悟さんの父親が”親方”と呼ぶ社長がいるそうです。
大悟さんが芸人として成功した時、父親と大悟さんで親方の家に挨拶に行く事になりました。
手土産を準備していた大悟さんですが、父親は何も準備していない様子。
と思ったら、「ちょっと海に寄っていく」と言い出発します。
そして「なるべく丸い石を探す」と言って探し出したのです。
見つけた丸い石を持って親方の家に行くと、部屋の床の間には丸い石が並んでいたといいます。
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帰り道、大悟さんの父親は「見たか大悟、丸い石が床の間に飾ってあったじゃろ」と嬉しそうに話していたそうです。
大悟さんの父親の仕事は「なるべく丸い石を親方に渡す」仕事だったのです!
というのも、北木島は北木石の産出地として有名で、丸い石も貴重なのだとか。
父の日
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父の日に、甚平を父親にあげた大悟さん。
しかし、大悟さんや姉が帰省した時に着ていたのは別の甚平だったそうです。
特に気にしていなかった大悟さんですが、父親が港まで送ってくれた際に謝られます。
「すまん大悟。気づいとると思うけど、くれた甚平は着てない。」
「これは姉ちゃんがくれた甚平じゃ。」とプレゼントが被った事を説明。
「姉ちゃんは大悟がくれた甚平を着てたら、私があげたやつじゃないと思ってしまう。でもお前は男じゃけぇ我慢できるよな」と泣いてしまったそうです。
大悟さんは「どうでもえぇよ、誰の甚平でも着とけぇ」と言いながらも、父親の気遣いに感動したのだとか。
大悟さんの父親の優しさが染みるエピソードですね。
孫への愛情もスゴいんじゃ
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大悟さんの家族が島の実家に帰省した時のこと。
当時5歳の孫に久々に会えた事もあり、大悟さんの父親はとても上機嫌だったそうです。
夜は花火をして遊んでくれたそうで、自分に火花が飛び散りながらも孫の花火にライターで火を着けていたのだとか。
その後にはかき氷を食べるという約束があったのですが、大悟さんの父親は氷を準備するのを忘れていました。
都会育ちの孫は「コンビニに買いに行けば大丈夫」と言い、島にはコンビニがないという事など理解できなかったのです。
「かき氷を食べさせない為に嘘をついている」と思った孫は号泣してしまいます。
なんとかかき氷を食べさせてあげたいと思った大悟さんの父親。
しかし、孫はそのあと楽しくお風呂に入って、かき氷の事は忘れて上機嫌だったそうです。
寝る準備までしていましたが、そこに汗だくの大悟さんの父親が登場します。
息を切らせながら、袋いっぱいの氷を持って立っていたというのです。
どうやら、近所中を走り回って氷をもらいかき集めたようです!
そして孫に「これでかき氷できるよ!」と言いました。
かき氷の事は忘れて眠くなっていた孫は「じいじ、もうおやすみ。」と言って寝てしまったそうです。。
大悟さんの父親は込み上げる何かを抑えるように、氷を後ろ手にしながら「おやすみ‥」と言いました。
切なくも愛情溢れるエピソードですね。。
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まとめ
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大悟さんの父親に関するエピソードはたくさんありますが、こうして読むより大悟さんが話す方がやっぱり面白いですね!笑
今後も、大悟さんの父親の面白い話が聞ける事に期待です!